ある方のお話を聞く機会がありました。
その日、私が受け取った言葉があります。
それは
「自分を慈しむ」
でした。
慈しむ
この言葉を聞いて、私の中で浮かんだのは
「自分と和解する」
という感覚でした。
もっと頑張らなければ。
もっとできるはず。
もっと成長しなければ。
そんな思いは、これまで何度も私を前へ進ませてくれました。
でも同時に、
ここまで歩いてきた自分を認めることは、
どこか後回しにしていたのかもしれません。
もう、認めているつもりだったのに・・・
そんなことを感じながら話を聞いていて
目に入ったものは、その方が身に付けていた根付でした。
以前、私の過去生を見てくださった先生から、
「あなたは江戸時代初期の桜模様を掘る根付職人だった」
と教えていただいたことがあります。
根付とは、着物の時代に使われていた小さな工芸品。
その先生はこんな言葉をくださいました。
根付は繊細な仕事。
すべてに気を配りながら形を整え、
磨き、
艶を出し、
愛を吹き込む仕事。
そして、その根付を見るだけで
心弾む会話が生まれ、
笑顔が生まれる。
根付は物を下げるためだけのものではなく、
人と人とのご縁を自然と結ぶもの。
その言葉をいただいた時、
私はなぜだか涙が止まりませんでした。
そして今回、桜は「予祝」の象徴だと教えていただきました。
予祝とは、
まだ叶っていない未来を先に祝うこと。
未来の実りを信じて祝福する日本の智慧です。
今日を振り返りながら
私は今、自分が取り入れている
ドリームヒプノセラピーのことも重ねていました。
夢が叶った未来を先に感じる。
理想の自分を先に体験する。
未来の喜びを先に味わう。
それは、まるで予祝そのもの。
最近の私は少し表現が変わってきました。
夢を叶える人ではなく、
夢に出逢わせる人。
夢を教えるのではなく、
その人の中に眠っている夢を思い出してもらう人。
もし本当に桜の根付職人だった時代があったのだとしたら、
その頃も今も、
やっていることは変わらないのかもしれません。
昔は木に愛を吹き込み、
人と人のご縁を結んでいた。
今は言葉に愛を吹き込み、
人と夢を結んでいる。
手段は変わっても、
願いは同じ。
そして今の私に必要なのは、
まず自分自身を慈しむこと。
ここまで歩いてきた自分。
迷いながらも進んできた自分。
挑戦し続けてきた自分。
その存在を認め、
和解し、
愛を向けること。
和解とは
新しい自分になることではなく、
戦いを終わらせること。
もっと頑張ろうとする私も、
立ち止まりたい私も、
どちらも私だった。
その両方を受け入れること。
それが今の私にとっての
「慈しむ」
なのかもしれません。
桜は未来を祝っています。
私も
まだ咲いていない未来を祝っていたいと思います。
そして
あなたの中にある夢の花も、
きっと咲くと信じています🌸🌸🌸
